西日本新聞で特集された浅野史郎さんの記事です。

=2010/03/23〜03/28付 西日本新聞朝刊=


【ATLと闘う 患者になって300日 元宮城知事・浅野史郎 1】告知 発症まさか…身震い
2010年03月24日 13:46

骨髄移植を受けて退院し、療養生活を送っている浅野史郎氏。免疫レベルは新生児並みに低く、しばらくは家族以外とは面会できないという=18日、横浜市の自宅
 ●「攻める」言い聞かせた
 
 昨年6月、自らの成人T細胞白血病(ATL)発症を公表し、骨髄移植を受けた元宮城県知事の浅野史郎慶応義塾大教授(62)が、闘病生活や心境をつづった手記を本紙に寄せた。ATL患者になってから300日間にわたる心の葛藤(かっとう)と社会への提言を、4回に分けて掲載する。

 「ATLの急性期の発症と認められます。治療を始める時期です」。東北大医学部付属病院の医師から、告知を受けたのは昨年5月末だった。

 しかし、「告知」が突然だったわけではない。数年前、母が血液の病気にかかり、その際の検査で、ATLの原因ウイルスHTLV1のキャリアー(感染者)だと分かった。その後、「ところで、史郎はどうなの」という話になった。

 私自身も2005年に仙台市宮城県赤十字血液センター献血をした後、HTLV1のキャリアーだと知らされていた。「そう言えば、そんなこと言われた覚えがある」。その程度のやりとりで、私がキャリアーである事実をやっと家族が認識したのである。

 だが、ある種の無知、もう一面では真実を知るのが怖いという臆(おく)病(びょう)さ、そして、私がATLになるはずがないという楽観主義…、こうした理由から、キャリアーであることが判明後、東北大病院で定期検査をする段階になり「くすぶり型を発症しています」と言われても、なお深刻に受け止めることはなかった。

 キャリアーのうち、実際にATLを発症するのは、ごくわずか。自分がそのわずかの割合に入るはずはないと、高をくくっていたのである。

 キャリアーだと判明後の医師の説明が、「発症予防のために特に注意すべきことはない」という内容だったことも、「気にしない」ことの原因の一つだった。告知の2カ月前に、東京マラソンを4時間15分で完走したのも、この楽観論のなせる業であった。

 ■めげている暇ない

 昨年5月末のATL発症の告知は不意打ちではなかった。しかし、ショックは小さくない。「完治のためには骨髄移植しかありません」とも言われ、さすがに事態の深刻さに身震いがした。

 告知から1時間後、妻に「おれ、この病気と闘うからな。よろしく支援を頼む」と声をかけた。言ったとたんに、打ちのめされている状態から回復して、恐怖、不安といった感情から自由になったのを感じた。

 守りではなく攻めること、闘いがいがあり、勝ち目がある闘いだと思うことにより、めげている暇はないと自分にも周りにも言い聞かせた。

 ■病気の公表を決意

 治療は自宅のある首都圏で受けることにした。

 いろいろ調べた結果、東京大医科学研究所がATL治療の最前線の一つだと知った。すぐ相談に赴き、(昨年)6月3日に入院し、化学療法をここでして、骨髄移植は国立がんセンターでやることまで決めてしまった。

 その際の説明で、ATLの生存期間中央値は13カ月、骨髄移植の予後も大変厳しいといった負の情報をたっぷり聞かされた。さすがにショックでめげたが、この時も「闘うぞ」を思い出して、30分で回復した。

 入院を決めた直後に考えたのは、この病気のことはすぐに公表しようということであった。

 大学の授業を休講し、テレビ出演・講演をキャンセルする理由を明らかにすることは義務であること、私の発病をきっかけにATLへの理解が進めばいいと思ったこと、公表することによって多くの人の支援を期待できることが理由である。大学で学生に「必ず戻ってくるから」と言った時には、さすがにグッときた。テレビ局のスタッフも「復帰を待っているからね」と言ってくれた。

 こうして、私の入院生活は始まったのである。

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 ▼成人T細胞白血病 HTLV1というウイルスの感染が原因の血液がん。母乳を通じた母子感染が主な感染経路。潜伏期間は平均55年で、感染者の生涯発症率は約5%。急性型▽リンパ腫型▽慢性型▽白血球数は正常だが異常細胞が見つかるくすぶり型−に大別される。発症した場合の死亡率は高く、毎年約千人がATLで亡くなっている。国内感染者は100万人以上とされ、約半数を九州・沖縄が占める。

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 ●元行政トップ自ら体験発信 感染女性の願いきっかけ 取材班から

 ATL発症を公表し、闘病中の元宮城県知事の浅野史郎さん(62)=横浜市=に、インタビューを申し込んだのは2月中旬である。きっかけは、ATLの原因ウイルスHTLV1に感染した鹿児島の女性のつぶやきだった。「九州ではなく東京に多い病気だったら、国は本腰を入れてきたはず。せめて、有名人の患者さんが対策を訴えてくれたらな…」

 浅野さんからすぐ返信があった。「取材に応じたい気持ちはあります」と。ただ、骨髄移植を受けて2月3日に退院したばかり。感染症を避けるため、家族以外との接触を主治医に禁じられていた。本人は自宅でもマスクをしたまま。部屋を清潔に保つため、ご家族は掃除に追われているということだった。

 電話やメールでやりとりを重ねるなか、寄稿の形で思いをつづっていただくことになった。連載タイトルの題字と署名は、薬の副作用で震える手を押さえて、したためてくださった。

   ◇    ◇

 浅野さんは東京大法学部を卒業後、1970年に旧厚生省(現厚生労働省)に入り、93年から2005年まで、故郷・宮城県の知事を3期12年務めた。捜査報償費をめぐる問題で県警と対(たい)峙(じ)するなど情報公開に積極的。“改革派知事”として全国に名をはせた。

 一方、古巣の旧厚生省は20年前にATLを「風土病」と判断し、対策を放置してきた。げたを預けられた自治体も、ごく一部を除き手を打たず、実態把握すらしてこなかった。この間、約2万人がATLで亡くなり、HTLV1感染者は全国に拡散してしまった。

 元厚生官僚であり、地方行政トップの経験者でもあり、そして現在、ATLと闘っている浅野さん。その言葉に耳を傾け、置き去りにされてきた病について、読者の皆さんと一緒に考えたいと思う。


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【ATLと闘う 患者になって300日 元宮城知事・浅野史郎 2】治療 幸運続き…ありがたい
2010年03月24日 13:46

急性型ATLの発症が判明する3週間ほど前に、地方自治についてインタビューに答える浅野史郎氏=2009年5月
 東京大医科学研究所付属病院への入院は、昨年6月3日。病気と闘う姿勢で臨んだ。悪い側面は考えず、前向きに病気と闘うことだけに集中することにした。

 医師や医療スタッフが全面的に信頼できたことは、とても幸運なことであった。成人T細胞白血病(ATL)の治療は日進月歩である。そして東大医科研は、ATLの研究・治療では日本で最高水準である。すべてお任せして勝利を期す。この姿勢は、入院期間を通じて揺るがなかった。

 治療の中心は、抗がん剤の投与だ。複数の抗がん剤を併用する「LSG15」と呼ばれる療法を、3週間を1クール(1回)として3クールぐらい続けたところで、骨髄移植に持ち込む計画で治療が始まった。

 ■副作用は軽かった

 抗がん剤の副作用として脱毛、口内炎、食欲不振、吐き気などがあることは承知していた。吐き気と口内炎で食べられない時期があったが、それ以外は痛い、苦しいということはなかった。

 「無間地獄の苦しみ、七転八倒」とも聞いていたが、私の場合はそれには程遠く、軽いのは幸いだった。この入院生活を「闘病」と表現することはしっくりこない。とても幸運であった。

 骨髄移植を受けるには、白血球の型(HLA)が私と合致するドナーを探さなければならない。血縁者では合致せず、骨髄バンクの登録者から見つけることになった。

 幸いにも、HLAが基本的に合致している登録者が30人ほどいることが分かり、その中から重要な部分が完全に一致している方にドナーになっていただくことになった。

 ■移植後の経過も良

 骨髄移植は国立がんセンターで受けるため、4カ月過ごした医科研から転院。自分の骨髄を完全に破壊してしまうフル移植ではなく、ミニ移植という方法で成果を挙げている田野崎医師に身をゆだねることになった。

 移植は無事済んだ。見も知らないドナーの好意で、命をいただいたようなものである。ドナーがささげてくださった時間、労力、そして患者を救いたいという思い。何と言って感謝していいか分からない。心の底から、ありがたいという気持ちがわき上がってくる。

 私の場合、移植後の副作用もそれほど厳しいものではなかった。容体が安定したところで退院になり、2月3日に自宅に戻ってきた。8カ月ぶりである。

 主治医の田野崎医師に「自宅でも入院中と同じように過ごしてください」と言われているので、気を抜くわけにはいかない。妻の苦労は尋常でない。家族や周りの方々から有形無形の支援を受けながら、完治に向けて療養を続けている。

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 ●取材班から

 ATL発症は人生の暗転だったが、ご本人が繰り返しつづっていらっしゃるように、浅野さんは患者さんの中では運に恵まれた方(かた)だと思う。

 血液の病気になったとき、専門治療を受けられる医療機関は限られる。浅野さんはその複数に容易にアクセスできる環境にあり、白血球の型が一致する骨髄ドナーもタイミングよく見つかった。日本骨髄バンクの運営財団によると、バンク登録から移植までの平均値は昨年は約5カ月だ。

 浅野さんが受けたミニ移植という骨髄移植は、10年ほど前にATL患者にも行われるようになった。対象を70歳まで広げた画期的な治療法だ。再発の可能性はあるが、治療の進展でも、運に見放されてはいない。

 ATLの患者さんをみとった遺族の無力感、悲しみを聞いてきた。浅野さんの体験が「幸運」ではなく、当たり前になる日が早く訪れることを願ってやまない。 


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【ATLと闘う 患者になって300日 元宮城知事・浅野史郎 3】提言 置き去り、行政に責任
2010年03月25日 11:34

宮城県知事時代の浅野史郎氏。3期12年間、福祉の充実や情報公開、入札改革などに取り組んだ=2005年9月、仙台市
 成人T細胞白血病(ATL)に関して、国や地方自治体がやるべきことは何であろうか。

 まず、ATLや原因ウイルスHTLV1に関する情報不足の問題がある。医療機関でさえ、ATLをほとんど知らないところが少なくない。これは国や自治体の責任である。

 キャリアー(感染者)が100万人以上いることを考えれば、国民的関心事であるべきだ。多くの国民が無知、無関心なのは、行政が先頭に立って国民に知らせていないからであることを忘れてはならない。

 ■研究体制の充実を

 ATLのみならず、HTLV1関連脊髄(せきずい)症(HAM)も、国を挙げての研究体制が不十分だ。罹患(りかん)している患者としては歯がゆいところである。

 ATLは「風土病」で、いずれ消滅するとした、1990年の旧厚生省研究班の提言が、ATL研究を何年か分後戻りさせた。この失われた時間を取り戻さなければならない。一部の研究機関や研究者に任せただけでは足りない。発症メカニズム、治療、予防、新薬開発など、幅広い分野での網羅的かつ継続的に研究できる体制を国の後押しでつくり上げるべきだ。

 ATLの研究は、エイズウイルス(HIV)や他の免疫疾患、子宮頸(けい)がんなどウイルス起因の病気への対策にも共通の成果が期待できる。他の先進国ではあまり見られない病気で、この分野での研究の最先端は日本が担うことが期待されているだけに、国の支援はなおのこと重要である。

 ■財政論で逃げるな

 地方自治体の役割も期待される。主に母乳感染であることを考えれば、感染や発症予防のため、妊婦健診でキャリアーと判明した場合、母乳による子育てを制限することが望ましいとされている。長崎県、鹿児島県で実績を挙げているように、他の地域でも自治体が関与した予防措置が求められている。

 ATLについての広報は、国だけでなく自治体の役割でもある。一時期、「風土病」とみられ、九州など西日本以外での関心を引かず、情報レベルが格段に低い状況になっているのは不幸なことだ。全国のあらゆる地域で、特に、医療機関への情報伝達が急務である。そこに自治体の積極的関与の契機がある。

 自治体の関与について考えるときに費用負担の問題がある。たとえば、妊婦健診の費用を公費負担すべきかどうか。自治体が関与するからといって、全額公費負担しなければならないというものではない。財政難の時代に、公費負担を避けるために、問題への関与自体を敬遠してしまうとしたら本末転倒である。

 自治体が消極的になる理由が、財政的な問題にあることも推察できる私としては、今、何が重要なのかをしっかりみつめることが必要なことだけは強調しておきたい。

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 ●取材班から

 行政の台所事情を知る浅野さんは、妊婦健診時の公費負担を「しなければならないというものではない」と微妙な言い回しをされている。妊婦が感染の有無を知ることがATL対策の第一歩であることを認識された上で、対策を放置してきた国や自治体に「まず始めよ」と、促されているのだと理解した。

 HTLV1の抗体検査は妊婦健診時に受けられるが、県によって公費負担と自費に対応が割れる。2008年度に2次検査を含めて完全無料化が実現した長崎県では、抗体検査の受診率が前年度の72%から97%に上がり、妊婦の感染率をより正確に把握できるようになった。

 妊婦健診時の抗体検査無料化は、妊婦の負担軽減はもちろん、「多くの国民が無関心」な状態を改めることにもつながると思う。 


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【ATLと闘う 患者になって300日 元宮城知事・浅野史郎 4】決意 「完治」というゴールへ
2010年03月26日 11:43

 成人T細胞白血病(ATL)を発症していろいろなことを考えた。真っ先に考えたのは、ここで人生が終わってしまうという恐怖だった。恐怖から逃れるためにも、「この病気と闘うんだ」という姿勢を持ち続けることにしたが、それまで具体的に考えることのなかった自分の死というものについて、真剣に考えたことは事実である。

 発病を告知されても、めげないためには、「これこれの仕事を達成するまでは死ねない」といった立派な大義名分がなくともいいと思う。「病気と闘う」という覚悟だけで十分である。病気について悪い情報はなるべく避けることも、治療のためには必要な生活の知恵だと思うのだが、なかなかそうはいかない。

 ■「先兵」の役割光栄

 私の場合、第1回で書いた「ATLの生存期間中央値は13カ月」というのもそうであるし、骨髄移植に関しては、「この治療で命を失うことがある」といった情報も衝撃をもって受け止めた。

 ただ、私が悪い情報を聞かされてめげていたのは、短い時間にすぎない。ATLという、比較的新しくて、治療法なども日進月歩、現在進行中という病気にたまたまなった。「病気と闘う先兵としての役割を持たせてもらって光栄だ」ぐらいに受け止め、雄々しく闘うしかないと、あらためて思い定めて、前向きに対応することができた。

 ■精神的な強さ注入

 ATLに限らず、病気と闘うためには、精神的な部分も大事である。「闘う」にしても、一人で闘うのではない。同じ病気の仲間がいるし、家族や友人などの支援も大きな力になる。私よりもっと大変な状況で病気と闘う人たちがいると考えることで、「この程度のことで弱音を吐いていられるか」という思いになった。夜昼問わず治療にかかわってくださっている医師、看護師などの存在は心強いものである。そして、骨髄を提供してくださったドナーの方は、文字通り、私と一緒に闘いに参加してくれている戦友である。

 こういった支援の中で自分がATLと闘っていると感じることは、精神的な強さを私に注入してくれる。このことは、実際の治療においても、少なからざるいい効果をもたらしてくれていると信じて疑わない。

 現在「入院時と同じつもりでの自宅療養」の期間を過ごしている。「完治」というゴールまでは、まだまだ走り続けなければならない。思わぬ障害物で転ばないように、油断も禁物である。そんな中で、中途半端な原稿を書かせていただいた。内心じくじたるものがあるが、これが同じ病気で悩んでいる方、そして、今までまったくの無関心であった人たちにとって、いい方向に進んでいってくださることに、いささかでも貢献できるとしたら、幸いである。 (次回は読者の声を特集します)

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 ●取材班から

 ATL患者として闘病生活を送る元宮城県知事の浅野史郎さん(62)=横浜市=から寄せていただいた手記「ATLと闘う」。最終回には、タイトル通り、「闘う」がキーワードとして随所にちりばめられている。

 行間からは、病気に対し「一歩も引かないぞ」という浅野さんの生への気迫が伝わる半面、患者が一人で立ち向かう難しさも感じられた。

 「死への恐怖」に直面する病気はもちろん、ATLに限らない。「周囲に支えられることで、病気と闘う力がわく」。浅野さんのこの言葉は、生命の存在を脅かす重い病気に苦しむあらゆる人たちにとって、家族や友人、医療関係者の励ましと支えが、心のエネルギーになることを教えてくれる。患者は一人で「闘う」のではない。



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【ATLと闘う 患者になって300日 元宮城知事・浅野史郎 5完】読者の声 「勇気もらった」 「国は腰上げて」
2010年03月28日 11:12

本紙への寄稿を執筆する浅野史郎さん。「ATLへの理解が進めばいい」と自らの病を公表した=18日、横浜市の自宅
 成人T細胞白血病(ATL)を発症し闘病中の元宮城県知事、浅野史郎さん(62)の手記「ATLと闘う」に、読者から手紙や電子メールで多くの声が寄せられた。「病気に立ち向かう浅野さんの精神的な強さに勇気づけられた」との感想のほか、国に対し本腰を入れた対策を求める意見も目立った。そのいくつかを紹介する。

 3年前の妊婦健診でATL原因ウイルス(HTLV1)への感染が分かったという福岡市の1児の母は、母子感染を防ぐために3カ月の短期授乳を選択したという。手記を読み、発病への恐怖が再浮上してきた半面、「報道されることで治療法の発達につながれば」と期待をにじませた。

 自身は感染者でないが身近な人をATLで亡くしたりした読者からも意見が寄せられた。

 長崎市の会社員女性(38)は、浅野さんの闘病の様子とATLで亡くなった母親を重ね合わせた。「苦労を重ねた母がやっとゆっくりできる年齢になった途端に発症し、孫を抱くことなく旅立ちました」と振り返り、「病状や治療は過酷。一日でも早くこの病気がなくなるように、国はもっとしっかり取り組んでほしい」と求めた。

 ■広めることが支援

 手記を通じて、ATLへの理解が深まったという声も。福岡市の会社役員仙波啓三さん(57)は「この病気の難しさや怖さ、国の姿勢も初めて知った。ATLの問題を世に広めることが、病気に苦しむ人の支援の一つだと思う」と啓発の必要性を訴えた。

 同市の女性は「身近に感染者がいなかったら、妊婦健診は受けてなかった。ぜひ公費負担をしてほしい」と強調。

 「(手記が)入院していた自分と重なり、勇気をさらにいただいた」と福岡県筑後市の女性。福岡市の女性は「病気や治療内容をオープンにされる勇気に感謝し、患者としての心構えも勉強になる」と記した。

 本紙に寄せられた反響には、浅野さんへの共感とエールが込められたものが多かった。

 =おわり

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 ●取材班から=声に背かぬ記事を

 ぬぐいがたい、ためらいがあった。今回ATL問題を報じるにあたって、私たち取材班は最後まで頭を悩ませた。

 ATLについての社会の理解は十分でない。

 記事がむしろ、病に対する誤解や偏見を生みはしないか。患者や感染者の方々に必要以上の不安を与えてしまうのではないか。懸念は消えなかった。

 だが今月8日からの一連の報道には、望外というべき激励の声を多く寄せていただいている。

 「長年、人知れず苦しみながらこの時を待っていました」「記事を少しでも多くの方が読んで、この病気が知られることを願っています」

 便りに背中を押されるような思いであった。ただその声は同時に、あまりに長きにわたった、私たちの無関心を告発しておられるのだとも思う。

 国が組織的な感染予防対策を取らない中、病と孤独な闘いを続けてきた人がどれほど多いか。行政からも医師からも詳しい説明を与えられない。肉親にさえ相談できない。身を縮めるように暮らしてきた方々の悩みは、いかばかりであったか。

 その事実にようやく、気づかせていただいた、と思う。

 今回、浅野さんにご寄稿願ったのは元厚生官僚にして、地方行政の現場も知る浅野さんだからこそ語れる、患者としての思いを、記者の筆を通してではなく直接、伝えたかったからだ。病に立ち向かうその姿は、多くの人に勇気を与えてくれた。

 今後も私たちは感染者の方々の不安や、地域の実情について地道に伝えたいと準備を進めている。寄せられた声に背かぬような、そんな新聞でありたいと思っている。



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浅野さんの言葉に元気をもらった方がたくさんいらっしゃるそうです。

そして、西日本新聞社の取材班の皆さんからも、私は勇気づけられました。


一歩踏み出し、行動することで、
誰かが求める力となることができる。

これを読んでいる、あなたにも、
そんな力があると思います。


これから私たちにはどんなことができるでしょうか。

と、自分に投げかけてみます。